2020年10月1日
地球上の生命はどこで、どのようにして生まれたのか——。この自然科学究極の問いを解くためのヒントを、東北大学 大学院理学研究科 地学専攻 古川善博准教授はとある隕石の中に見つけました。RNAの構成要素として現在の生命にとって不可欠なリボースという糖が、そこに存在していたのです。
リボースが隕石に存在していることの意味とは、そして生命の起源を明らかにしていくために今後どのように研究を進めていくのか、古川准教授に伺いました。
生命の起源に迫る学問「アストロバイオロジー」
物質を地球に持ち帰る「サンプルリターン」をミッションとする小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」、地球と似た生命が存在できる可能性のある「ハビタブルゾーン」(生命居住可能領域)での系外惑星発見など、近年宇宙探査が盛り上がりを見せています。そんななか、今アストロバイオロジーという学問分野に注目が集まっています。
生命はどのように誕生したのか、生命は地球以外にも存在するのか、存在するとしたら地球の生命と似たものなのか……といった宇宙と生命に関する謎を探求するアストロバイオロジー。天文学や惑星科学、生命科学まで、広範な領域の研究者が参入している複合的な学問分野です。アストロバイオロジーの研究者である古川准教授は、地球科学的なアプローチを使って研究に取り組みます。
「生物の歴史を遡っていくと、原始の地球や惑星といった非生物的な環境に行き着きます。生命の起源を明らかにするには、現在の生物のような複雑な生命システムを研究することも重要ですが、生命が誕生したばかりの頃の地球環境を研究することにも大きな意義があると考えています。」
そして古川准教授は2019年、衝撃的な研究結果を国際科学誌『米国科学アカデミー紀要』で発表しました。私たち人間を含むあらゆる生物のRNAを構成する糖分子「リボース」を隕石中に見つけたというのです。
写真1 東北大学 大学院理学研究科 地学専攻古川善博准教授
分析方法を工夫したことで隕石中にリボースを発見
リボースはRNAを構成する糖の一種です。また原始生命においては、DNAではなくRNAが生命体の中心となり遺伝情報の伝達を担っていたという考え方「RNAワールド仮説」も知られています。生物が関与していないはずの宇宙空間でできた隕石中からリボースが見つかったということは、生命の起源を明らかにするための大きなヒントとなりえます。
古川准教授は研究で3種類の隕石を分析し、そのうち2種類の隕石からリボースをはじめとする糖を検出しました。リボースが検出されたのは、「マーチソン隕石」と「NWA801」です。マーチソン隕石は、1969年にオーストラリアへ飛来した隕石で、これまでに内部から複数のアミノ酸をはじめとする有機物が発見されていました。NWA801は、2001年にモロッコの砂漠で発見されました。
古川准教授はこれらの隕石に着目した理由について「マーチソン隕石は、過去の研究からアミノ酸や糖酸、糖アルコールなどが見つかっていたので、リボースも含まれている可能性が高いと考え分析することにしました。また、より確実性を上げるためにマーチソン隕石以外のものもいくつか調べようということで分析したのがNWA801です。」と説明します。
なぜ、リボースはこれまで隕石中から発見されてこなかったのでしょうか。その理由のひとつに、分析の困難さがあります。五員環や六員環、鎖状といったように水中でさまざまな構造をとるリボースなどの糖を高速液体クロマトグラフ(HPLC)やガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)で測定するには、さまざまな工夫が必要です。また、隕石には何万もの有機物が含まれており、その中から分析に必要な有機物を抽出する必要もあると言います。
そこで古川准教授は今回、隕石から糖類を抽出・精製し、誘導体化することでGC/MSでのリボースの測定を可能としました。抽出溶媒や用いる隕石の量なども工夫することで、世界初の発見へと至ったのです。この研究で用いられたのが、古川准教授が2018年に導入した「Agilent 5977B シングル四重極GC/MS」です。「論文に記載しているのはGC/MSで測定したデータです。」と、古川准教授は話しています。
写真2 糖が検出されたマーチソン隕石
生体内の糖も隕石中の糖も、なぜかD体ばかり
今後さらに研究を進めると、ほかにも興味深いことがわかってきそうです。
糖の関連物質の多くはL体/D体に区別される光学異性体を持っていますが、地球上のほとんどの生命は、D-リボースをはじめ、光学異性体の片方であるD体の糖のみを利用しています。なぜ生命がD体の糖類のみから構成されているのか、その理由はまだ明らかになっていません。
一方で、ある隕石中に含まれる糖の関連物質を測定した先行研究では、D体の糖のほうがL体の糖に比べてはるかに多く含まれていたということが報告されています。「糖を人工的に合成するとD体とL体は1対1で生成するので、にわかには信じがたい事実です。」と古川准教授。生命がD体の糖だけを使っていることと、隕石中にD体の糖関連物質が多く存在していたことの関連性はまだわかっていないとしていますが、宇宙由来のリボースが関係して生命が誕生した可能性も考えられるということになります。
古川准教授は、今後の研究において今回発見したリボースの光学異性体を分析することで、この可能性を検討しようとしています。隕石中のリボースを測定するために用いられたGC/MSですが、古川准教授はさらに先を見据え、5977Bをベースにしたゲステル社の1次元2次元切替GC/MSとして導入しています。このシステムにより、リボースの光学異性体を分離して分析することを目指しています。
写真3 Agilent 5977Bをベースにしたゲステル社の1次元2次元切替GC/MS
「隕石中のリボースを発見した今回の研究では通常の1次元のGC/MSとして利用していますが、このシステムを導入した最終的な目的は光学異性体を分離することです。カラムを2本搭載し、最初のカラムで分離したピークのうち、特定のピークを後段のカラムで分析できるハートカット型のシステムが、光学異性体の分析には有用です。」と古川准教授は話しています。
ゲステル社の1次元2次元切替GC/MSが必要であったことにくわえ、宇宙由来のリボースであるかどうかを確認するために用いられる安定炭素同位体比分析で実績のある他の研究者の意見も選定の参考になったといいます。
「アジレントの装置は温度プログラムなどの再現性がよいという評価を聞いていましたし、私たち有機地球化学の分野では、アジレントのGC/MSはほぼ標準と言ってもよいくらい利用されています。そういう意味では、安心感がありましたね。感度が良く、低濃度でも検出できることもポイントでした。」
また古川准教授は、アジレントのサポート体制についても「私たちは特殊な分析方法を用いるため、装置購入の際にはかなり細かいことまで質問するのですが、アジレントはそうしたところまできちんと対応してくださるメーカーという印象があります。営業担当の方がその場でわからないことだったとしても、質問の意図を汲んで的確に技術担当者へつないでいただけるので、助かっています」と評価しています。
生命は宇宙から来たのか、地球上で誕生したのか
実は、古川准教授は、地球上でリボースができた可能性を探る研究も同時に進めています。これは、小惑星や巨大隕石が地球に衝突したことで生命を構成する物質が生成されたという考え方がもとになっています。隕石や小惑星が地球に衝突した際の環境を模擬した実験によって生成された物質を調べるため、古川准教授はこれまでリボースやその他関連する糖の分析方法を確立してきていました。
しかし、生命の起源を明らかにするために研究を進める古川准教授としては、生命は宇宙からやってきたのか、地球上で誕生したのか、どちらの説を支持しているのでしょうか。質問してみたところ、「よく聞かれるんですけど、私はどっちでもいいんです」と笑いながら話します。
「リボースがあるだけでは生命はできません。リボースからヌクレオチド、そしてRNAができることでようやく生命のなかで機能する分子になるわけです。さらに、RNAだけがあったとしてもそれは生命とは呼べません。さらに先のステップがあって生命が誕生します。生命誕生のステップのなかで、私が研究しているのはかなり前半部分です。ただ、生命誕生以前の地球上で、リボースや他の生命分子がどういう理由でどれだけの量存在していたのかを明らかにすることが私の役割だと思っています。」
生命の起源となるリボースが、宇宙から来たとする説、地球で誕生したとする説。古川准教授は、これからも両方の可能性を探っていきます。いずれにしても、高度な分析技術は欠かせません。
「宇宙から来たとする説を支持する研究は、1960年代ごろから行われてきていますが、分析技術が発達したことにより、近年一気に進展しています。そしてこの先10年のあいだで、宇宙でどのように有機物ができたのかといったことが明らかになってくると思います。一方、地球で誕生したとする説は、模擬実験を行って確かめるしかありません。40億年以上前の地層が残っているわけではないので、当時の地球の環境は分からないことだらけです。今では、模擬実験による生成物をさまざまな分析装置で測定することで、昔の地球がどういう環境だったのかを明らかにするための知見が溜まってきています。」
アストロバイオロジー研究の発展においては、さまざまな物質をより良く分析するための技術の進歩がカギとなるとのことです。生命の起源という謎の探求に、古川准教授、そしてアジレントはこれからも貢献していきます。
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